自己紹介

愛Lifeクリエイター 樹愛(きえ)

本名 石嶺ゆきえ

 

ヒリオソール施術士

 

沖縄県在住 1966年生まれ

 

学生時代~結婚

小学生の頃から少女漫画が好きで漫画家を志すも才能が無くて断念。

身近に先生しかいない環境だったので、他の職業を考えたこともなく学校の先生を目指しました。

 

高校一年生の時に父が病死。

 

18歳で運転免許を取り、家族の送迎を全て一人で担うことに。

 

琉球大学教育学部4年次の時に教員採用試験に合格することができました。

 

卒業後すぐに6歳下の妹が通う養護学校(現在の特別支援学校)に採用。

養護学校は授業や行事が魅力的楽しく、忙しいながらも充実した毎日を送ることができました。

 

その頃宝塚歌劇団星組の麻路さきさんのファンになり、大阪や東京へ公演を観に行くほどの熱中ぶり。彼女が退団後に、その熱は冷めましたけれどね。

 

36歳で結婚。子ども二人を授かる。

私は家事が苦手で理想と現実の違いに毎日苦しんでいました。一つ一つのことに時間がかかり、うまくいかないことに自分を責める日々。それでも、「仕事が忙しいからしかたがない。」「夫が手伝ってくれないから」等々言い訳することで何とか精神を保っていました。

 

夫も両親のことや職場のことで深い悩みを抱えていて、ゲームやお酒でしかストレスを発散することができませんでした。

念願のマイホームを手に入れたものの、義父母との同居でさらに事態は悪化。

私も仕事と家事・育児で余裕がないため夫を受け入れることは難しく、やがて両親に対しての不満や職場の人間関係に夫は毎日苛立ちアルコール依存症、双極性障害で仕事も休職。夫はそれが良くならないまま亡くなりました。

 

夫の死の5か月後に義父が亡くなり、その後3年間は義母との同居。

私は義母とは価値観が合わないのと過去の夫への対応に不信感が強く、ほぼ口をきかない状態で過ごしました。

長男の私立中学入学を理由に実家に戻り、心機一転で新しい生活に期待を抱いて引っ越しましたがそううまくは行きませんでした。

実家に戻り実母との同居生活は

息子は学校のカリキュラムについていけない状態で朝起きられずに休みがちになり、五年生だった娘は人間関係で悩み殻に閉じこもるようになりました。

私も毎日余裕が無くて、朝は早いし夜は遅い為子どもたちの気持ちに寄り添う事もせず叱ってばかり。

 

一緒に住み始めた母が私の代わりに子どもたちの行動に責任を感じるようになり、毎日イライラして子どもたちと言い合いしている状態。

離れていた時は優しい祖母として接していたのに、良好だった関係も崩れ始めました。

 

50歳になった私の体調は遺伝的な貧血に加え動悸や息切れ、不整脈等を感じるようになり、ジャンプや走る動作ができず体の衰えを感じていました。

小さい頃から運動もせず、体力も筋力も無かったのでこのまま衰えていくと退職まで勤められるのかと不安に思っていました。

でも、仕方がないとあきらめていて、せめて子どもたちが成人するまでは生きることを目標にして不安な毎日を送っていたのです。

 

そんな矢先、妹が通っていた鍼灸を試したところ少しずつ弱っていた体が回復するのを実感しました。

 

「熱が出たら薬で下げる」

「痛い所にはシップを貼る」

「目が乾燥したら目薬」

「気になる事はすぐに病院で調べてもらう」

 

というように対処療法で生きてきた私にとっては、なぜ鍼灸で体が良くなるのかが疑問でした。

 

 鍼治療を始めてから背中に出ていた湿疹は

「悪いものを排出しているので湿疹がでるのは良いこと」

だと説明されていましたが、それを理解していませんでした。

なので私は、首の目立つところに出ていた湿疹を同僚に指摘され評判の良い皮膚科へ行き塗り薬をもらい治療を始めてしまったんです。

実はそれが間違い!悪化の原因でした。

 

全身皮膚疾患、むくみ、病名は

体に溜まった悪いものを排出してできた皮膚の湿疹を

皮膚科の薬で出ないように抑えることは全く真逆の治療。

それをしてしまったためによけいにひどくなってしまったんです。

 

対処療法では無く、根本治療をしようと思い鍼治療で治そうと決意。

 

しかし、すぐには治るはずもなく湿疹は全身に広がり、かゆみ、むくみによる寒気、微熱が続き仕事に行くのも困難になりました。

その時の私は「皮膚湿疹では学校を休めない。でも体がきつい。少しでも休めたら」と思っていました。

でも病院に行くと今続けている治療が中断してしまい薬を出されてしまうことを恐れて行けませんでした。

そんな時に漢方での治療をしている内科を思い出し、

「東洋医学の考え方を理解している先生なら大丈夫かも。」

そこで診断書を書いてもらいました。

 

病名「自律神経失調症」

 

「自律神経?なんで皮膚と関係があるの?」

とその時は理解できませんでした。

 

自律神経は人間の生命をつかさどる役目をしています。

心臓を動かしたり、血管の収縮拡張、免疫機能にも影響を及ぼします。

だから自律神経の乱れが原因になり様々な症状が起こるのです。

 

病院は健康保険が使えるので、患者の支払いは安くて済みます。通い始めた頃、鍼治療は一回2000円程度で毎週1回通っていました。病気になってからは、集中して治療したので毎日。しかも一日2~3回の日もありました。

アロマも使いフルボ酸入りの植物性ミネラル、プロテオグリカン入りのサプリも大量に服用。

母がこのミネラルとサプリを飲んでから顔色が良くなり、血圧も安定して薬が減り、その効果を信じて飲み続けました。

もちろん、肉や油、砂糖などを排除する食事制限も並行して行いました。

 

 

 

「将来病気になってその治療にお金をかけるより、健康でいる為にお金をかけよう」

 

私たち家族はそのように考えるようになり、健康のためのお金は必要経費として支出しました。

 

皮膚疾患は皮膚科に行ってもなかなか完治しない病気。私は2カ月で仕事復帰し、皮膚疾患は少し残りましたが徐々にきれいになりました。

 

自律神経失調症はストレスが原因で起こります。ストレスになる出来事は家庭生活、仕事にありましたが病気で休むことは無く

「私は体力はないけど、風邪もあまりひかないし、ストレスにも強いんだ」

と過信していました。

 

だけど今回の事で、知らず知らずに体に負担をかけていたことを実感したのです。

 

辞める決意をしたのは

病休中に気づいたことは

・仕事にストレス(主にシステム、情報化)があり、身体に負担になっている。

・何が大切かがわかった。健康であること、家族が仲良く暮らせること

・学校現場でやり残したことが無いことがわかった。(これからやりたいことが無かった)

・健康であれば、仕事は何とかなるということ。母は専業主婦だった時に、父が亡くなりそれから非常勤講師やアルバイトをしていました。母は私の病休中の姿を見て、辞める事に賛成してくれました。

・自分がこれしかないと思っていた常識が覆り、もっと楽しいことがありそうと思えるようになった。

・健康なら何でもできる。新しいことに挑戦して道を開くことは、子どもたちの可能性を広げることにもなるということ。

 

その年にすぐに辞めるつもりはありませんでしたが、職場復帰した時にストレスに敏感になっていたこともあり続けることは病気になるリスクを伴うと感じてしまったのです。

 

進む方向はまだ決まっていませんでしたが、未来に夢を抱きつつ辞めることにしたのです。

ボディートークとの出会い

ボディートークに出会ったきっかけは、職場の管理者から勧められたセミナーに参加した時に昔の同僚に偶然出会った事。

彼女がボディートークの勉強中で資格を取るためにモニターを募集していることを知りました。その当時中学生だった息子が学校に行けなくなり、この状態に悩んでいました。

すぐに、彼女に連絡を取り息子と私はボディートークのモニターになる事にしました。

最初の息子のセッションで、蜘蛛恐怖症が出ていて息子が蜘蛛にまつわる怖い体験があったと私は初めて知りました。

 

ボディートークを受けなかったら、わざわざ私に伝える事はないような内容でした。

 

私は受けた時に分厚いテキストを見て、「こんなにたくさんの内容を勉強するのは、私には無理だな~」と思ったことを覚えています。

フォローセッションがあったので私と息子は継続でセッションをお願いしました。大きな変化は感じませんでしたが、徐々に息子の表情が明るくなっていったのです。

私は職場との関係を調整してもらうセッション内容が出ていて、その後から職場のストレスが軽減したのを実感しました。

 

目に見える物しか信じない生活を送っていた私は、

「ボディートークは何をやっているのかよくわからない」

という印象は続き、講演会に参加しても「凄い」とは思っても「やっぱりよくわからない」という感想しかありませんでした。

 

でもその頃、病院や薬に頼らない方法を探していたので、セルフケアができるというアクセスセミナーを受講することにしたのです。

アクセスセミナーを受講するも、習ったテクニックがあやふやで意味がわからなくて…。でも、その時に同じアクセスセミナーを受けた方は他の方に試してみたら症状が良くなったというからびっくり。

私がモニターでボディートークを受けていた方はすでに試験に合格し、資格を取っていました。

 

私は教員を辞めて健康に関する勉強をしていて、「何か資格を取りたい」と思っていた矢先だったので「私でも頑張れば資格が取れるのかな」と思い始め、基礎セミナーを受講しました。

ニュアルがあり、手順を学べばチャートに沿って聞いていく方法だったし、未知の世界へのワクワク感が止まらず夢中で勉強しました。

 

2019年2月にボディートーク施術士の試験に合格し、晴れて施術士となりました。

ボディートークを多くの人に知ってもらい、症状が出た時や自分を整えるための選択肢の一つに加えてほしいと思っています。

何もできなかった自分が、人の為にできることがあるという事が嬉しいです。

 

ボディートークからヒリオソールへ

ヒリオソールシステムの創始者はボディートークインストラクターであったカナダ在住のシルビア先生。

日本では2022年1月に紹介されました。実際に施術士になるためのセミナーは2022年2月。

最初の紹介の時にピンときて、そのセミナーを楽しみに待っていました。

ボディートークで学んだことのほかに新しい概念やスピリチュアルで関わる中で知った情報や興味のある引き寄せ、光や音や色の周波数などもその施術の内容に含まれていて感動しました。

しばらくはボディートークとヒリオソールでのセッションをさせていただいていましたが、量子的物の見方と潜在意識にある思い込みや執着を見つけて手放すことの重要性を感じ、2023年からはヒリオソールセッションで皆様のサポートすることを決めました。

 

仕事を辞めてからやったこと

辞める少し前に、健康に関する知識を高めることができるからと「健康管理士」になるための講座を申し込みしました。その試験は2018年7月で、試験を受ける前に提出する課題がありました。

 

2018年4月に新聞に募集が載っていた「メンタルアロマアドバイザー講座」に申し込み受講。アロマは薬に変わる効果が期待できることがわかっていたので勉強したかったのです。

 

5月友だちから「えら部フェスティバル」のイベントを紹介されて行くとたくさんのブースがあり多くの人が押し寄せていました。「こんなに仕事ってあるんだ!!」

と目から鱗。「マヤ歴」と「暮らし方講座」を体験し、人酔いした私は午前中のみ参加し家では疲れて休みました。

 

講座の資料や学びに必要な本やプリントで煩雑になり混乱し始めていて、自分一人では片づけは無理と思った時にえら部フェスティバルで体験した「暮らし方講座」の案内が、タイミングよくメールで届き申し込みをして受講しました。

 

6月から8カ月間は以前の職場の同僚に勧められて「1010ハッピー親力セミナー」へ。子育てや生き方について大切なことを学びました。

 

6月にボディートークの基礎を受講し、勉強開始。

 

7月は健康管理士の試験を受けて8月に合格通知が届きました。

 

私は記録することが苦手なので、

「辞めてからの足跡をブログで残したい」

というのがずっとありました。

でも、身近にやってる人がいなかったのでスタートができず

「そろそろブログを始めたいな~」

と思って入ったモスバーガーにあったえら部の冊子にあった講座に目が留まり予約。

「ワードプレス開設サポート」と「ご予約の入るブログ作り基礎講座」の二つでした。

 

8月に「伝わる話し方講座」受講。

自己紹介が上手くできないし、わかりやすく話ができるようにしたいという思いから受講。文章の仕組みについて学びました。

 

9月に念願のブログをスタート。

最初は毎日更新、100記事を目指して頑張りました。今見ても、この時にブログを書いたから思い出せることがたくさんあります。やってて良かったと心から思います。

 

10月に受けた「お金とらぶらぶな関係を気づくセミナー」で初めてスピリチュアルなセッションを仕事としている方たちと出会いました。

その方たちの出店しているイベントに遊びに行き、その楽しさにはまったのです。スピリチュアルなセッションは生き方や子どもの理解に大きく役に立ち見方ががらりと変わりました。

 

えら部フェスティバルで受けた「マヤ歴」とも出会いがあり講座を受けました。最初は子育てに関する講座。マヤ暦で見ると、性格や生まれ持った特徴がわかり人を理解するのに役立ちました。

 

11月はボディートークの基礎を再受講し、ボディートーク施術士になる事を決意し試験に向けて動き始めました。

ボディートークの試験の条件であるモニターセッションに協力してくれたのは、講座で知り合った方々。その中には、今のイベント出店のきっかけを作ってくださった方もいました。

2019年2月にボディートーク施術士となり、活動開始しました。ブログをホームページ変えたり、名刺やチラシを用意しましたよ。

イベント出店の経験

2019年4月に初めて「まほうの癒し箱」というイベントに出店。

イベント出店に向けて、フェイスブック講座を受けてイベントの投稿ページを作ったりライン公式アカウントを開設したりしました。

 

8月に「ゆるりうるま」、9月は「シマトネリコの樹の下で」のイベントで初のミニセミナー開催、名護のイベント「喜びの種」は北部に住むボディートーク施術士の仲間と一緒に出店。

 

少しづつ、イベントにも慣れてはきたものの思うようにセッションの予約は入らない。全く予約のない時もあり落ち込みました。

 

12月のゆるりうるまのイベントの時に「私がやりたいことは何?」と考えさせられる場面があり、自分のやりたいことや方向性をしっかり決めようと思いました。

そして私自身の在り方に意識を向けるようになり、少しづつ外側よりも内面の大切さを実感し行動するようになりました。

 

今までを振り返って思うこと

教員としてのキャリアを活かす仕事ではなく、私が全く知識も経験もない所から活動している今。

 

器用で何でもできるわけでもなく、要領も悪くて人付き合いも得意ではない。

 

様々な講座を受けたことで、知り合いが増えました。

 

できない事はそれを仕事として教えてくれる人がいます。自分一人ですべてやろうとしたら、時間だけがかかって実現できないことがあります。

 

雇われる生活では無く、全てが自分の時間で思うとおりに使える楽しい仕事。

その為には、自分にお金と時間をかけて知識や経験を積むことが大切だと思います。

 

仕事を辞めた後、妹に

「お金はよく考えて使わないとダメだよ。将来の為に使いすぎないようにしないといけないんじゃない」と言われました。

その度に「初期投資が大切だよ。お金がある内に自分に投資しないと何も残らないよ。」と言い返しました。

 

教員を辞めた当時にできなくて、今 できることがたくさんあります。

 

家族が体調不良の時にボディートークセッションすることで病院にほとんど行かなくなりました。昔は、夜中に救急に行くことが多くどれだけの時間を病院内で費やしたか分かりません。

 

世の中の捉え方や見方、SNSの使い方などこれからの社会で必要な知識が増えつつあります。

私が知ることで、子どもたちの視野が広がります。将来子どもたちの力になれることがきっとあるでしょう。

 

愛ある幸せを大切にして

私の経験が必要な人に届くことを信じて

かろやか

人生を歩んでいきます。

 

 

 

経歴

琉球大学教育学部卒業

1989年4月 養護学校教諭に採用

2018年3月   29年間務めた特別支援学校を早期退職

2018年 8月 メンタルアロマアドバイザー認定取得

2018年 9月 健康管理士一般指導員資格取得

2019年 2月 米国IBA認定 ボディートーク施術士資格取得

2019年 5月 心と体のやすらぎ空間 KAROYAKA~かろやか~開業

2019年4月より各種イベントに参加

2020年4月 ショティールアロエナジー伝授

2020年9月 エンジェルカラーカード講座受講終了

2020年9月 KAROYAKAレンタルスペース開始

2020年11月 ボディートーク上級セミナー受講終了

2021年3月 ボディートークセミナー「リンパドレナージと応用解剖生理学」受講

2022年3月 ヒリオソール施術士資格取得

2022年6月 ヒリオソールアニマル施術士資格取得